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遅れてやって来た改革開放の恩恵! |
更新日:2015年03月15日 |
友人の青年の家族が、母親の出身の村の親戚へ、新年の挨拶回りへ行くのに誘われ、喜んで同行させて貰う。 |
ニ−ハオ!ようこそ~チャイナエイトへ~!
両江鎮高橋村は、桂林市近郊の小さな村です。
村は、近年かなり豊かになり、近代的な立派な家も増え始めていると聞いていました。
私は、都市近郊の農村は伝統的作物を止め、距離的優位性を生かした換金作物に生産を切替え、成功したのではと予想していました。
しかし、村で見聞きして、その予想は見事に裏切られました。
撮影日:2015年02月22日
撮影場所:両江鎮高橋村
尚、この文は、在桂林の日本人より寄稿されたのもです。
高橋村は、桂林市の中心部から車で1時間程度の、桂林両江国際空港のほど近くに所在する小さな山村です。
空港近くまでは広く立派な高速道路を駆け、それを離れるとギリギリ対向できる位の一本道になる。
村への道へ入ると、昨年までは舗装されていなかったらしい村道が、コンクリート製の新しい道になり、クネクネと曲がりながら山間へと伸びている。
周辺の山々には高い山は見当たらず、丘陵を少し背伸びさせた程度の低い山の間を縫うように進むにつれ、徐々に桂木(金木犀)の植えられた畠が見られるようになってくる。
途中、彼方此方に数戸から十数戸の村落も散見される。
高速道路を離れる約20分、目指す高橋村へ到着する。
低い山を背に、横に細長く4~500メートル位の間に、家々が45戸程建っている。村民数は約200人とのことである。
村の前面に延びてきたコンクリート舗装の村道は、一番奥の家の前で終わり、その先は細くなり、土の農道が山の中の耕作地へと続いている。
コンクリート道を挟んで、金木犀の木々の植わった畠が、村の前面に広がっている。
春節(中国のお正月)最中の村の中に入ると、家々の門や建物の入口の両脇へ、手書きの春聯(新年の目出度い言葉や願いを記した赤い紙)が貼られていて、お正月気分に溢れています。
春節期間中で、野良仕事へ出ている人も見掛けず、町から戻ってきた娘や息子、親戚縁者が寄り集まり、宴会やお喋りにのんびりと楽しんでいる様子です。
青年の母親は、男2人女3人の兄弟姉妹で、男2人が村に残っています。
我々一行もお昼を次男の家で、夕食を長男の家でと、お正月料理を御馳走になりました。
素朴な料理の品々で、見た目の華やかさはないものの、その素材の持つ力強い旨さには驚きました。
小さな地方都市である桂林は、車で10分も走れば畑が見られるので、町中で売られている食材も、殆ど近くから運ばれており、鮮度は良い物だと思います。
しかし、この村で口にした野菜本来の旨さや、鶏の噛み締める毎に、口中に広がる肉本来の旨さを味わう悦びは、町中で食べるものとは、全く異次元の鮮烈な体験でした。
野菜は、青年の母の母、祖母が自家用に栽培している野菜とのことです。
少し腰が曲がり、杖を突いているものの、まだまだ元気に働く88歳の祖母です。
この祖母が次男の家に同居しているので、不思議に思い聞いてみました。
日本では、一般的に老親は長男と住むことが多いんだがと……
すると中国でも、両親が元気な内は長男と同居するが、体が弱ってくると兄弟がある場合、父は長男、母は次男の家で、面倒を見ることも多くあることで、父は長男と同居していたが、すでに亡くなっていると説明を受け、多少は別れて住む両親の感情に懸念は残るものの、とても面白く或る意味、合理的でもあると感じ入りました。
母親の村での子供時代の想い出に、村の直ぐ前を流れる小さな川で、兄弟姉妹一緒になって魚とりに夢中になったこと、7~8月の夏休み中に二期作の麦の収穫を、一家総出で取入れに励んだりしたことが、楽しく美しい記憶となり残っています。
母親の脳裏には、美しく刻まれているものの、現実の山村の暮らし向きは厳しいものであったと思われます。 母親は、小学校へ4年生までしか通っていません。
それ以後、小学校の女の子が村を出る19歳まで、家の経済を支える一員として働き続けています。
約35年前に始った改革開放政策の恩恵も、これらの農山村へもたらされるのは、ずいぶんと遅いものでした。
狭い農地では充分な作物は生産できず、主に牛や豚を飼い生業としてきました。
母親が、改革開放2・3年後、現金収入の道を求めて、19歳で村を後ろにして三十数年、その殆どの長きにわたり、村は貧しいまっでした。
それが好転し始めたのは、約十年前に金木犀の苗木を育て、公園や街路用の樹木として売り出すようになってからです。
収入は以前の3~4倍にもなり、村に活気が出てきました。
村では、街路樹に適した高さに育った金木犀が、周辺の畠一面に植っています。
これは簡単に市中へ運び、露店で売り買いできるような物ではないので、売り先について訪ねてみました。
現在、殆ど貴州省の貴陽市(隣の省で数百キロ離れている)へ売られ、公園や街路樹として利用されているとのことです。
金木犀の苗木を売り物になる大きさに育てる最初の3・4年間は、非常に苦労の多かったことでしょう。
実際に売れ始め、収入に結び付きだしたのは、ここ5・6年来のことであろうと思われます。
耕作地の大部分が、金木犀を育てる畠となり、村の家が昔ながらのレンガと土壁の住まいから、近代的強化タイル外装の3階建てへ、立て替える家も徐々に現れてきています。
新しい試みに転換して約10年、村道もコンクリート製の立派なものになりました。
村は今、大きく変わり始め、正にこれから経済的豊かさが、加速する階段に達している最中だと思われます。
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