【歴史】
1912年数名の上海に住むフランス人と中国人の富豪・章鴻が提携して貯蓄会を組成した。株主や貯蓄参加者に国籍の制限を設けなかったので、同会は
万国貯蓄会と名づけられた。中国初の商業型貯蓄機関である。
1924年同会の投資でビルを建立することになり、その設計を建築家ヒューデックに依頼した。落成したビルの名は最初貯蓄会の頭文字をとってI.S.Sアパートと付けられた。この建物は1920年代の上海に登場した最初の高級マンションでもあり、1942年まで全ての部屋は外資系会社が借り上げ、役員や管理職員の社宅として使用されていた。
1937年した英文の「中国商業行名録」内の「上海街道指南」の中に、I.S.Sアパートの63戸の住民情報が詳しく掲載されている。それによると、住民の大半が欧米人でその他は、高い職位の中国人だった。彼らはこのアパートに住んでいる間、生活レベルを落とさず、ゴージャスなフライスタイルを維持しようと努め、専属シェフや運転手などを国外から呼び寄せるなどしていた。
1942年以降は国民党財政部長孔祥熙の娘孔二嬢がこのビルを買い取り、ノルマンディ・アパートと改名され、現在に至る。
2008年末、武康大楼は大改修が行なわれた。従来と同じ資材で外装が一新されたほか、外回廊、中のエントランスや内回廊も重点的に修繕された。この年は奇遇にもヒューデック没後、50周年でもあった。
【建物】
既に周りには数十階建ての高層ビルが建っていたが、武康大楼の「ヘビー級」な存在感には恐怖すら覚える。原因は何よりもその巨大な体躯あるいは年月が与えた変遷の激しさもしくは六叉路に佇立する威風堂々たる雄姿のせいか。空中から俯瞰すると三角形だが、地上からは幅の狭い、平べったい建物に見える。
この建物トレードマークの一つのアーケードになっている。このデザインは淮海中路側にある。一階は店舗が主で、店舗上から歩道の端まで建物が突き出しており、連綿とアーチ型を描く支柱によってセミオープン敷きのアーケードになっている。このデザインの建物は上海には殆どない上に、武康大楼が最初に取り入れたものだ。
淮海中路のファサードは1・2階にセメントモルタルの擬石が貼られ、3階は一直線に繋がる細いベランダがフリーズの役目を果たしている。3階から7階は赤レンガが貼られ、3階の窓上にだけ三角形の装飾がある。また、六叉路に面した各階の窓には鉄製の手すりがついた可愛らしいベランダが並ぶプランス・ルネッサンス様式の特徴がそこかしに溢れている。
淮海中路側に比べて武康路側はデコボコの3部構造になっていて面白い。内側にへこんだ二ヶ所は三角形の内庭になっており、石庫門の天井と呼ばれる空き地のようで、そこからアパートの各階をつなぐ外階段が見える。
淮海中路に面した正門と、各部屋は全て南向きで通路は北側にある。アパートのデザインは骨組みを重視し、部屋の大きさは変えやすいように考慮したため、床は全てフローリングにし、各戸の間取りなどはそれぞれ違う。中の回廊は非常に長く、階段に繋がる部分は曲がりくねり、テラゾの床はぼんやりと光、まるでラビリンスに迷い込んだようだ。
【周辺紹介】
武康大楼を見終わったら、武康路を少し歩いてみよう。保存状態が上海で最も良く、ヨーロッパ情緒溢れるエリアだ。距離は短いが、密度は濃い。
武康路は百年の歴史があり、上海初の「永久景観保存地区」に指定された道だ。開発が出来ないばかりか、道路両脇の建造物の高さも変更不可能で、全て昔のままに遺していく。
武康路には現存する歴史的建造物が多く、建築様式もイギリスカントリー式、装飾主義式、地中海式庭園付き一戸建など多種多様で見飽きない。さらに、作家巴金の故居(武康路113号)、革命家黄興の故居(同393号)など、著名人の故居もある。これら家屋は生い茂るプラタナスに隠されているので、注意していないと通りすぎてしまうので気をつけよう。
少し気分を変えたい時はアトリエやショップ巡りも楽しもう。武康路376号にある「武康庭」と言わば、静かなミニ・オアシス。広くは無いが、おしゃれなフラワーショップやカフェ、ギャラリーやレストランなどがあり、より一層ヨーロピアン・テイストが濃い。永久景観保存地地区のムードと見事にマッチしている癒しスポットだ。