杭州の霊隠寺 - 基本情報|中国旅行のチャイナエイト
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杭州の霊隠寺
更新日:2012年06月15日

  中国禅宗十大古刹の一つで、その歴史は1600年以上のぼる。 326年にインド の高僧・慧理によって建立、最盛期の10世紀頃はは3000人以上の僧が居たという。寺内に中国最大の木彫り釈迦弁尼の座像が安置されている。

霊隠寺

  霊隠寺は東晋時代の紀元326年に建築されて、すでに1600年の歴史が持っている。杭州の名刹である。杭州西湖の西側に位置して後ろには北高峰、前には飛来峰に向かって、緑に囲まれて静かに感じさせる。

霊隠寺

  言い伝えでは、東晋の咸和元年(326年)、この地を訪ねたインド僧の慧理が、杭州の美しい景色を見て驚き、「あそこに見えるのは確かに天竺国(古代インド)の霊鷲山だが、何時ここに飛んできたのだろう。お釈迦様がご存命であった頃、たいていの仙人があの山に隠遁していたものだ」と言った。そして慧理僧が苦労して建立したお寺を霊隠寺となった。

霊隠寺

  霊隠寺は1600年間に何度となく興廃を繰り返した。その最盛期は五代の呉の越王・銭鏐(947-978在位)の在位年間で、当時は霊隠寺全体で九つの高楼、18の仏閣、72の殿堂、1300室を超える部屋があり、僧の数は3000人を数えたと言った。飛来峰と北高峰の間にこれだけの建物があったのだから、その伽蓝の配置は今では想像さえできない。

霊隠寺

  今日の霊隠寺は天王殿、50年代に再建された大雄宝殿と薬师殿、东西回廊、西厢房、蓮灯閣、大悲閣、方丈、斎堂などの建物をもち、うち、高さ33.6mの大雄宝殿が最も壮観である。

霊隠寺

  再建された大雄宝殿にはこんな逸話がある。1949年7月のある日、大地を揺るがす地響きとともに大雄宝殿が崩れ落ちた。南方の雨の多い気候のため木造の桁や梁が湿気を受けて腐食していたことと、长さ28mの棟木がシロアリの害にあっていたことが倒壊の原因である。この時、落ちた踏木で同時に三尊像が破壊された。しかし、当時は杭州解放の直後であり、政府にもそれを修復する資金がないため、事故の再発を防ぐため公開を中止する以外打つ手はなかった。

霊隠寺

  その後、1951年夏に杭州を視察した周恩来総理は、倒壊した霊隠寺の大雄宝殿を修復したいという省・市政府からの陳情を聞くと、「杭州の霊隠寺は国内外の仏教界と大衆の間に大きな影響力を持つ名刹である。霊隠寺を修復すれば、国内外仏教徒の霊隠寺を参拝したいという願いを満たせるだけでなく、仏教を信仰する东南アジア諸国から支持を得ることもできる・・・・・・霊隠寺は千年の古刹であり、政府からの保護を受けるべき文化財である」と語った。

霊隠寺

  間もなく霊隠寺修復計画は政務院(現在の国務院)の承認を得て、120万元の資金と材木や黄金などの建材が支給された。その2年後、三層屋根の平屋式、鉄筋コンクリート构造の薬师殿が完成した。宝殿の中央に安置された釈迦像は、高さ9.1m、基礎部込み高さ19.6mで、24本のクスノキが用いられている。金メッキが施されたこの仏像は全体のバランスがよく、端正で穏やかな颜つきをしており、大雄宝殿の暗がりのなかで黄金色の光を放つ。参拝客はこの大仏を仰ぎ、敬虔な祈りを捧げ、线香を上げるのだ。 

 

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