外灘1号から33号の繋がり、必ずお子さんへ話しましょう!基本情報|プリントアウト
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外灘1号から33号の繋がり、必ずお子さんへ話しましょう!
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(5票) 更新日:2019年05月07日

1843年11月17日、アヘン戦争終結時に結ばれた南京条約により上海港が外国に向けて開港されると、1845年のイギリス租界を皮切りにフランスやアメリカなど列強各国の租界地 (=中国の主権が及ばない外国人居住区) が設けられるようになりました。外灘の建築物はその租界時代、特に1920年代から30年代にかけて各国商人や金融機関がこぞって建てたもの。租界は1945年の第二次世界大戦終戦以降なくなりましたが、当時の建築は今もなお荘厳な風格と共に外灘の歴史を伝えています。お子さんと外灘の川辺の景色を楽しむたびに、各建物に関連する歴史をよく話せますか?





外灘1号 

歴史変遷:マクベイン商会+亜細亜火油公司→中国太平洋保険公司本部

マクベインビルは、上海外灘南端部に位置している建物。7階建てであり、1913年から1916年までに建築された。所在する土地の番号から、外灘1号と呼ばれることもあり、長い間亜細亜火油公司がこの土地を借りていたことからアジアビルとも呼ばれる。1996年からこのビルは中国太平洋保険公司の本部になりました。

設計はモールヘッド&ハルス(Moorhead&Halse、馬海洋行)であった。建築は全体的に新古典主義のデザインであり、正面にはイオニア式の大理石の円柱が四本、また、入り口はバロック風の装飾となっていた。







外灘2号 

歴史変遷:上海クラブ→東風飯店→上海外灘ウォルドルフホテル

上海クラブは1861年(咸豊10年)に英国が建築した三階建ての赤レンガ造りの建築物であり、1905年に再建されたものである。ネオ・バロック様式で、外灘の中でモひときわ美しいシルエットを持つ。建築デザインを手がけたのは、イギリスの設計事務所タラント&モリス事務所。内装は日本人の建築家下田菊大朗によるもの。1971年から1998年までは、東風飯店という名でホテルとして使われた。この間、1990年から1996年には館内にケンタッキー・フライドチキンの上海一号店が入っていた。東風飯店の閉鎖後はしばらく放置されていたが、その後改装され、ヒルトン系の最高級ホテルブランドであるウォルドルフ=アストリアが2010年10月に開業した。







外灘3号 

歴史変遷: 旧ユニオン・アシュランス・カンパニーズビル→外灘3号

1916年に完成した建物で、この建物は幾つかの保険会社に使われた。後に現在のユニオン・バンク系列の保険会社ユニオン・アシュランスが入店して、使われるようになったためにこの名前がつけられた。2004年からは外灘3号と呼ばれる高級ショッピングセンターに変わっており、幾つかのレストランなども参入している。

この建築は上海で活躍することになるパーマー&ターナーの上海での初仕事であり、上海で最初の鉄筋コンクリート建築であった。正面から外灘までの距離が狭かったために、正面玄関は広東路付近に位置している。この建築は全体にルネサンス建築風の新古典主義建築であり、正面から見ると左右対称になっている。また、一部にはバロック建築風の影響も見られる。屋根の要望は円形で角が塔のようになっている。





外灘5号 

歴史変遷: 旧日清汽船上海支店ビル→海運局ビル→華夏銀行上海支店

旧日清汽船上海支店ビルは、外灘の土地の番号から外灘5号などとも呼ばれる。日本資本の海運会社、日清汽船株式会社と、ユダヤ系の商人が資本を出し合って建設した。建設は有名な英国資本の企業であるジョンソン&モリス。正面から見ると3段に分かれており、装飾は少な目。5階と6階の間に庇のようなものがついており、此処には特徴的な一定の掘り込みが刻まれている。なお、日清汽船は漢口にも社屋を持っていた。

このビルは一時期海運局が使用し、その後華夏銀行上海支店が使用した。現在では華夏銀行はこのビルを出ており、日清ビルには高級料理店などが入店している。





外灘6号 

歴史変遷: オークションハウス→旧中国通商銀行ビル→揚子江海運公司

中国通商銀行ビルは上海外灘の外灘6号に位置している建物。中国通商銀行は中国人の創立した初めての銀行会社であり、盛宣懐が創立した。この建物は元々ラッセル商会が使用していたとされているが、その後競売に出され、1897年5月27日に中国通商銀行が入店した。モリソン商会のガブリエル・ジェームス・モリソン(Gabriel James Morrison)とF・M・グラットンが設計している。

外灘の建築物の中では背が低く、他の建物とは趣が異なる。建築様式としてはゴシック式建築で市庁舎様式になっている。中央部分が一番高い屋根になっている。また、本来赤レンガであったが、現在は白い漆喰で塗られている。改装は行っているが、19世紀中には建っており、バンドの中でも古い建物である。





外灘7号 

歴史変遷: 旧大北電報公司→バンコク銀行

1907年に完成したこの建物は、1882年に中国で最初の電話交換所を設置した大北電報公司の社屋として建てられたもの。上海市優秀歴史建築の1つにも 数えられるデザインはアトキンソン&ダラス事務所による設計で、建物全体の円柱の配列の美しさはネオバロック様式ならでは。現在はバンコク銀行として使わ れています。門の上を飾る装飾が印象的ですよね。





外灘9号

歴史変遷: 旧輪船招商総局→外灘9号

1901年に白銀200万両で建てられてという3階建てのレンガ作りのビル。現在は1階に高級ブティックが入っています。また、このビルの向かって左手の路地を入ると、日本人旅行者にも人気のシノワズリ雑貨店「ANNABEL LEE」がありますよ。





外灘12号 

歴史変遷: 旧匯豊銀行上海分行→上海市役所→上海浦発銀行

1923年に完成したこの建物は、パーマー&ターナー設計事務所による古 代神殿建築の流れを汲む新古典主義建築様式です。横に長く、左右対称なデザインと中央にそびえるドームが目を引きますよね。1995年までは上海人民政府 庁舎として利用されていたそう。八角形のエントランスホールや、天井に描かれた世界の金融8都市(ロンドン、パリ、NY、バンコク、上海、香港、東京、カ ルカッタ)の風景は必見。





外灘13号 

歴史変遷: 旧江海関大楼→上海海関大楼

1927年竣工、パーマー&ターナー事務所の設計によるもので、古典主義の様式 を取り入れた近代建築として高い評価を受けた建物だそう。正門には古代ギリシアの神殿を模した美しい4本の円柱や、15分に1度鐘を響かせる直径5.3m の時計台も見もの。かつては黄浦江を通過する船舶からの徴税を行う税関だった建物です。





外灘14号 

歴史変遷: 旧交通銀行→上海市総工会

アールデコ様式が流行った1940年に 「交通銀行」として建てられた、外灘の中でも最も新しい建物がこちら。他の建築物とは異なり、シンプルで直線的なデザインが特徴的。以前はこの場所に、英国マーカンタイル銀行の上海支店が置かれていたそう。





外灘15号 

歴史変遷:

旧露清銀行上海支店→上海外匯交易中心

1901年、旧帝政ロシアに本拠を置いた露清銀行の上海支店として建 てられたこのビルはドイツ人ベッカルの設計で、上海初の鉄筋コンクリートの建築物としても知られています。露清銀行は1917年のロシア革命以降は本店を パリに移し業務を続けていましたが、1926年に倒産、上海支店も閉鎖されました。





外灘16号 

歴史変遷: 旧台湾銀行上海支店→招商銀行上海支店

1926年に完成したこの建物は、当時日本が台湾に創設した台湾銀行の上海支 店として使われていたそう。正面に立つ4本の大きな円柱が特徴のこの設計は、外灘5号と同じくレスター・ジョンソン&モリス事務所によるもので、随所に西 洋風の近代日本建築様式も見られます。現在は「招商銀行」になっていて、外貨両替もできるのでぜひ利用を。





外灘17号 

歴史変遷: 旧ノースチャイナ・ニューデイリーニューズ&ヘラルド社屋→友邦大厦

現在はアメリカの保険会社 「AIA」 のマークが目印のこの建物は、当時の中国での有力英字紙 「ノースチャイナ・ニューデイリー」 の社屋として使われていました。1922年にレスター・ジョンソン&モリス事務所の設計で建てられた古典主義様式の建物です。





外灘18号 

歴史変遷: 旧チャータード銀行上海支店→外灘18号

AIAビル向かって右隣に建つ 「外灘18号」 は、カルティエなど高級ブランドショップや有名レストラン&バーなどが入り、多くの在住外国人や旅行者たちを魅了する再開発スポットの1つ。ここは 1923年にパーマー&ターナー事務所による設計で完成したもので、新古典主義の建築スタイル。現在の建物内はアールデコ調のデザインが施されています。







外灘19号 

歴史変遷: 旧パレスホテル→スウォッチ・アート・ピース・ホテル

1903年にパレスホテルとしてオープンした建物。当 時は孫文なども滞在していたといい、第二次世界大戦中は日本が占領していたそう。その後、長らく「和平飯店南楼」として知られていましたが、現在はアー ティストのためのホテル「スウォッチ・アート・ピース・ホテル」として使われています。1階にはスウォッチ、オメガなどの高級時計店が入っています。







外灘20号

歴史変遷: 旧サッスーンハウス→フェアモント・ピース・ホテル

パーマー&ターナー設計事務所による典型的なアールデコ 様式で、租界時代の上海を代表する大財閥サッスーンの本拠地として建てられました。1階から3階は銀行や商店などに貸し出され、4階はサッスーン配下の会 社の事務室、5階から10階はキャセイ・ホテルとして使われていたそうです。また、トンガリ屋根の下の11階は、サッスーン財閥の当主であったヴィク ター・サッスーンの自室になっていました。現在でも、この建物は上海名門のクラシックホテルとして大人気です。





外灘23号 

歴史変遷: 旧中国銀行本店→中国銀行上海支店

1912年に創業した中国銀行。1927年にはそれまで北京に置かれてい た本店が上海に移されました。こちらの建物は1937年に中国銀行本店として建てられ、現在でも中国銀行上海支店として使われています。パーマー&ター ナー設計事務所によるもので、中国的なデザインを取り入れたアールデコ様式です。ここでも外貨両替可能。内部見学を兼ねて入ってみてください。





外灘24号 

歴史変遷: 旧横浜正金銀行上海支店→中国工商銀行

日系銀行の横浜正金銀行が上海に支店を開いたのは1893年のこと。 香港上海銀行やチャータード銀行に並ぶ3大為替銀行に成長した後、パーマー&ターナー設計事務所に依頼して1924年に竣工したのがこちらの建物です。建 物の正面は古典主義建築様式で、荘厳な印象。現在は、中国工商銀行として使われています。





外灘26号 

歴史変遷: 旧ヤンツ・インシュランス・アソシエーションビル→中国農業銀行

こちらもパーマー&ターナー設計事務所によ るアールデコ様式の建物で、1916年に竣工したものです。4層の異なる風格を持つ外部のデザインには、アーチ状の窓や彫刻などにより変化が付けられ、小 さい建物ながら印象的。現在では地盤沈下により、正面からみると左側に傾いて見えるんですよ。





外灘27号 

歴史変遷: 旧怡和洋行→THE HOUSE OF ROOSEVELT

租界時代の上海において大きな経済力を持って いたイギリス系の貿易商社ジャーディン・マセソン商会の中国拠点として1920年に竣工したのがこちらの建物。ギリシア ローマの建築様式を取り入れつつ、全体的にはネオルネッサンス様式の重厚な建築物に仕上がっています。現在はアメリカのルーズベルト家が所有するラグジュ アリービルとして人気。巨大ワインセラーやルーフトップバーで食事やお酒を楽しめます。





外灘28号 

歴史変遷: 旧グレンラインビル→上海決算所

こちらも、外灘の多くの歴史的建築物を手がけたパーマー& ターナー設計事務所により1922年に竣工した建物で、当時はグラスゴーに拠点を持つ海運業者グレンライン社の社屋でした。各所には彫刻による美しい装飾 が施され、上海市優秀近代建築にも指定されています。2012年11月現在、こんなふうに外装も包まれて工事されていました。どんなビルに生まれ変わるの か楽しみです。





外灘29号 

歴史変遷: 旧インド・スエズ銀行→中国光大銀行

現在は中国光大銀行の入るこの建物は、1914年にフランスのインド・ スエズ銀行 (当時はこの銀行の前身であるインドシナ銀行) の上海支店として建てられました。こちらはパーマー&ターナー設計事務所ではなく、当時東アジア最大の建築設計事務所だったアトキンソン&ダラス事務所に よるもので、ネオバロック様式の建築スタイルを持っています。





外灘32号 

歴史変遷: 旧イギリス駐上海総領事館→ザ・ペニンシュラ上海

外灘エリアでも1、2の人気を争う5つ星ホテル。こちらの建物はこのホテルのオープンに 合わせて2000年代に建てられたものです。でも、景観を損ねないシックで重厚感あふれる建物にしたのはさすが。思い切り外灘歩きを楽しみたいという方 は、ぜひここに滞在してみて下さい。





外灘33号 

歴史変遷:旧イギリス駐上海総領事館主館→ 外灘源壱号

この建物は1849年ニイギリス駐上海領事館の主館として建てられ、表面はイギリスルネッサンス様式、建物の前は典型的なイギリスガーデンをデザインさています。





 



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