遡る事1933年近代上海発展史上、不可欠なランドマーク「競馬場(上海レースクラブ)」が完成した。それからときの変遷と共に、上海レースクラブのクラブハウスは現在の上海美術館と変貌するのである、無数の競馬ファンの熱狂を背にクラブハウスは転身を繰り返した。1952年から1959年の間上海博物館として使用されたが、その後上海図書館へと衣装変えをする。そして再び、上海美術館としての役目を担い、国内外の一流芸術家の作品を展示し続け、今日に至る。
【歴史】
上海開港間もなく、W.Hoggという名のイギリス人商人が同郷の仲間と共に上海レースクラブを立ち上げた。彼らは外灘から500メートル離れた場所(現在の南京東路・河南中路近く)に通称「老公園」という庭園を造り、その周囲に直径730メートルのレースコースを敷き、上海初の競馬場を完成させた。その時必要に応じて生まれた「花園弄」が現在の上海を代表する繁華街、南京路である。
1862年クラブハウス増築が始まり、「極東第一」と謳われた新競馬場「 跑馬庁」が完成した。当時の入場料は10元(旧幣)で、もし1等があたれば最高賞金22.4万元(旧幣)にもなった。
故に人々は競馬場に熱狂し、貧しい暮らしから抜け出せる唯一の道だとばかりに我も我もと馬券をかった。瞬く間に競馬業は上海で急成長を遂げ、日々の売上は増加の一途をたどり、その好況は太平洋戦争勃発まで続いた。
戦後、この業界を再興させようとする者は出てこず、競馬業・賭博業は上海の公の場から姿を消した。
現在、この上海美術館として使用されている建物は1930年代初頭に建造されたものだ。確かな実力と豊富な資本を有するレースクラブは既存の建物を取り壊し、200万両の白銀を投じてモールヘッド&ハルスにクラブハウスの設計・施工を依頼した。中央の建物は鐘楼をあわせて高さ53mあり、当時の上海では高層ビルの一つだった。
昔の競馬場は、現在は南半分が人民広場に、北半分は人民公園へクラブハウスは上海美術館として生まれ変わっている。
【建物】
上空から俯瞰すると、上海美術館の輪郭がとてもスタンダードな観覧席の形をしていることが分かる。一方は一直線で、一方は突出した観覧席。おそらく少し離れて鐘楼側から見ても、その様子が良く分かるだろう。人民公園に面した側は外に向かって広がり、三階建ての建物が一階毎にセットバックしている様はスタジアムの観光席と一緒だ。建物そのものが、自身の前歴を物語っているようだ。
鉄筋コンクリートの建物ながら、その形は非常にクラシカルだ。褐色のレンガを化粧張りし、正面玄関の上部にあるギリシャ神殿風の三角破風上品で美しい、八階建ての四角い鐘楼と、一回り小さい最上部の装飾によって、建物の側面がとても縦長に見えるので、実際の大きさよりもだいぶコンパクトな建物に勘違いしてしまう。
右に曲がるとずらりと並んだ鉄の門が目に入る。まるで駅の切符売り場のようだ。これは当時の馬券売り場と払い戻しカウンター。この錆びた鉄門を見ただけでも、かつて大勢の人が夢を買いに押し寄せていた。情景が脳裏に浮かぶ。更に進むと美術館入り口に到着。中はシンプル筈モダンなインテリアだが、競馬場のクラブハウスだった名残は今尚あちこちに見られる。
例えば、階段の黒い手すりは馬の頭をモチーフにしたデザインだ。1930年代に鋳造された馬の頭を愛でつつアーティストたちの作品を観覧すれば、新旧上海の歴史の変遷を改めて知り、人々を惹き付けて止まない文化の魅力を実感できるだろう。
【周辺紹介】
意外にも美術館の中に本格的な食事が出来る店がある。5階にあるギャサリーンズ・5ルーフトップ・レストラン&バーは高級コンチネンタルレストランでもちろん喫茶だけでもokだ。週末の午後、南京西路や人民広場の喧騒を眼下にテラスでアフタヌーンティセットをゆっくりと楽しむ、なんていうのはどうだろう。
アフタヌーンティを満喫した後は、ゆっくりと人民公園を散歩してみよう。かつてのレース場の一部が緑豊かな、上海を代表する公園になっている。玉石を敷き詰めた歩道もあるので、裸足で歩けば足裏のツボを刺激してくれ、リフレッシュにもなるので、試してみよう。
人民公園の緑の下に少し変わった建物を発見した。ガラスの壁のモダンな建物は「上海当代美術館」だ。ここは元々人民公園の温室の一つでしかなかったが、現在は一、二階を展示ホールにし、世界中のクリエイターの作品を公開している。お土産店とテーマレストランも併設されている。