1927年落成した建物。上海市中山東一路13号にあり、
匯豊銀行ビルの「姉妹楼」と呼ばれる。
【歴史】
元々、江海関と呼ばれていた。江海関とは江蘇海関の略称だ。初代の建造物は中国の役所様式で1857年に建立された。その後、3回改築を経て、1927年12月、現在の建物が落成した。匯豊銀行に続く鉄筋構造物の高層建造物で、鐘楼をあわせると11階までである。当時外灘で一番高い建造物だった。 鐘楼の大きさはアジア最大を誇り、世界でもイギリスのビッグベン、ロシアのクレムリンに次ぐ3番手だ。
1928年1月1日1時ちょうどに、海関大楼の大時計が第一声を告げた。この時計はイギリスの大本鐘製造商により設計、製造された物。完成した時計が上海まで運搬され、設置のために重さ6.25トンもある超巨大時計を72メートル上空まで引き上げられたときには、無数の上海人が足を止め、空を見上げて、息を呑んだという。
タイミングよく旧江海関前を通りかかれば、川面に響くときを告げる重厚な音色を聞くことができるだろう。時報の曲は、鐘楼建立時は「ウェストミンスターの鐘」だったが、後に中国人なら誰でもが知っている「東方紅」へと変更された。1928年から現在まで、絶えることないこの鐘の音は、旧江海関の鐘楼から生み出される。1949年以降上海海関大楼と改称される。
【ロバート・ハート Robert Hart(1835~1911)】
1863年から中国海関総税務司を勤め、1911年死去するまでの48年間、その職を全うした。任期中、ハートは中国の税関管理制度を整え、中国の沿海都市に灯台や気象台を建立するなど、中国の現代郵政システムを確立した。清朝政府から正一品の官位を賜った「客卿」(中国の官吏になった外国人)。1911年9月20日に病没後、政府は東宮三師の一つ、太子太保の位階を授けた。
【建物の特徴】
鐘楼正面玄関にまっすぐそびえるギリシャのドーリア式円柱が圧巻だ。黒い鉄製の欄干をくぐると、エントランスが少し低くなっていることが分かる。ドアは少し老朽化しているようだが、黒褐色の銅門の上に掲げられた「上海海関」の真鍮の四文字はいまでも健在だ。正面玄関から入ると、ホールがありドーム型天井モザイク製の帆船海事図がある。
建造物の全体を見たいなら、浦東側から、もしくは黄浦江上からが最適だ。全体の風格はギリシャ古典主義様式だが、正面の装飾は非常に簡素化されており、一段ごとに細くなっていく鐘楼は高くそびえる立方体を表し、アール・デコの特徴であるシンプルかつ優雅な雰囲気が良く出ている。最下層はドーリア式円柱が回廊を構成した古典主義様式、3階から6階は垂直性を強調したゴチック・リヴァイバル風、その上にそれまでの縦ラインをばっさりと終わらせる横一線のひさしとその下の歯形の装飾はルネサンスの建築の要素を持ち、そして屋上の鐘楼はバロック風を簡素化したもの・・・異なる時代の興趣や芸術概念を自由に組み合わせることはあまり提唱されていないが、それこそが、旧江海関が体現している折衷主義(せっちゅうしゅぎ)の理念といえるだろう。
【周辺紹介】
上海に観光に来て、バンドに行かないなんてありえない。特に全面設備されたバンド観光歩道はパリのシャンゼリゼ通りに匹敵するくらい広くなり、ウォーターフロントの絶景が十二分に満喫できる。十六鋪客運埠頭は有名だから前回征服済み、という人ももう一度行くべきだ。新しい十六鋪には地上と地下を貫通する黄浦江水上旅センターがある上、濱江緑地やさまざまなレストランが軒をつねており、大型駐車場も完備されているのだ。
バンド源も欠かせないスポット。広さ2.4万平方メートルもある公共緑地には、27本の古木のほかに第一次アヘン戦争時代に清朝軍が外敵と戦うために用いた砲台跡などもあり。、中国の歴史を実感できる。緑地の西側にある円明園路の特色景観街は、道路に沿って8棟の歴史的建造物が並び、一味違う上海を感じられる。ここを散策すれば、否なが応にも、歴史が奏でる調べが耳に入ってくるだろう。