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もう一つの〝漓江下り〟体験記
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(11票) 更新日:2014年12月29日

有名な漓江下りは、大型観光船でゆったりと山水画の世界を楽しむものです。それと同じが、それ以上の素晴らしい満足感を得られる〝漓江下り〟が別にありました。 この体験で味わえる〝浮遊感〟とは? 皆様にも是非、この感覚を実感して頂きたいと思います。


ニ−ハオ!ようこそ~チャイナエイトへ~!



中国人客だけのツアーに紛れ込み、もう一つの漓江下りを体験してきました。



 



過去に2度、大型船での漓江下りの経験があります。



設備の整った観光船で、ゆったりと食事をし、ビール片手にのんびりと景色を眺め、トイレの心配もない大型船は、充分に漓江を楽しめるものです。



今回体験した漓江下りも又、十二分に満足を得られるものでした。



 



撮影日:2014年11月02日



撮影場所:漓江筏下り(冠岩~九馬画山)



尚、この文は、在桂林の日本人より寄稿されたのもです。



 



11月初の日曜日朝、6時前に目覚めると雨が降っている。



ひんやりとした肌寒い朝である。



 



今朝は、漓江の筏下り体験を予定しており、毎日午前3便ある筏下りの一番早く出発する便を予約してある。



 



7時過ぎ、家を出て集合場所へ向かわればと考えているところに、案内役の中国人の友人より電話があり、雨が少々強いので「今日は延期にしよう」と連絡が来る。



 



突然予定が無くなった雨の朝、のんびりと過ごしていると、8時半ごろに再び電話あり、小降りになってきたので、最後の便に間に合うし、行きましょうと連絡を受ける。



 



9時半に集合場所で友人と落ち合い、迎えのバスを待つ、やがて大型観光バスが現れ、乗り込むとそれぞれのホテルを回り集められた、予約の中国人50人以上で満員である。奥に離れて空いていた席を見付け腰を下す。



 



筏の出発地点の冠岩は桂林市内から29キロ、バスで約1時間少しである。



 





この車中で閉口したのは、約2/3に当たる40分間以上にわたり、大きな金属音の響くマイクで、女性ガイドが見所案内、食事休憩の際の料理の内容、おみやげ物に至るまで、中国語で延々と捲し立て、内容が聞き取れないこともあり、非常に苦痛な時間であった。



 





バスを降りると、雨は降っているのかいないのかの霧雨で、少し冷たく雲の多い空模様である。



 





バスを降りた地点から筏乗り場まで300m程歩く間に、近辺の農民のオバチャン達が、手に手に品物を携え、少しでも現金収入を得ようと売り込みに群がってくる。



 





川岸にでると、粗末な安普請の木造階段を下り、両手の平に乗るような大きめの石がゴロゴロして足場の悪い、ゴミもあちこちに散らかっている、お世辞にも綺麗とはいえない川辺を辿り、係留されている十数隻の筏へ分かれて乗り込む。



 



観光筏下りに漕ぎ出す川辺は、年配客のことも考慮し、もう少し足場を良くすることと、美観を保って貰うようにならないものかと思ってしまう。



 





一隻に2人掛けの木のベンチが2台置かれていて、乗客定員は4名となっている。



 



筏の構造は簡単で、直径10センチ前後の長さ5.6メートル位ある竹を、8本並べて組んだ上に床板を敷き、その上に鉄製の枠を立て、屋根を載せている。



両サイドに転落防止用の手摺も設けられている。



 





船尾に船頭が座り、長い細い鉄パイプを操っている。



それは、4メートル前後の細い鉄パイプの先端に小型スクリューを取付け、手元から1m5.60cm程の箇処には、小型モーターが一体になり取付けられている。



推進と舵取りが一本の棒で操作できる仕掛けなっているスグレ物である。



 





救命胴衣を着けると、直ちに筏は岸を離れる。



 





可也早い漓江の流れに乗り、筏は滑るように流れ下って行く。



川の中央付近を進む筏は水面に直接腰を降した感覚で視界が凄く広く、ワクワクする眺望である。



 





流れの中にまで張り出した聳え立つ岩山を、流れ下る水面から見上げると視角からはみだし、覆い被さってくるような迫力である。



 





曲がりくねった先に見通せる風景が、我が足先を洗うように流れる水面の連続した先に広がってゆく感覚は、全天候型ドームに360度投影されるオーロラビジョンで感ずる、身体が空中に浮き、流れ過ぎる四方の景色の中を浮遊してゆく感覚に近いもがあり、何かぞくぞくする不思議な興奮を覚える。



 





長い長い中国の歴史の中でも、いにしえから天下一と称えられ、水墨画に描き続けられ、漢詩に詠まれ続けられてきた、その秘密が直に感じられるように伝ってくる。



 





11月初めのこの日、雨模様で川の上は少々肌寒い。



春・秋や夏など、川風に吹かれながらの筏下りは最高だろうなと思う。



 





感じないほどの霧雨にけぶる景色の中を、時を忘れ流に身を預け1時間20分位下り、小さな何もない岸辺へ筏を寄せる。



 





崖を上がると、急拵えの工事用の物資置き場のような、剥き出しの地面に鉄パイプの柱を立て屋根を被せた空間に、粗末な丸テーブルとイスが無造作に並べられているだけの、だだっ広い食堂が現れる。  ここで1時間程の食事休憩である。



 





冷えた体で尿意を我慢していたのでトイレへ行く。



俄づくりの新しいトイレは2箇所しか設置されていず、女性が列をつくり順番待ちしている。



仕方がないので、男性である当方は裏手で適当に済ます。



 





小屋掛けの小さなキッチンで、一生懸命に調理しているものの、一度に50人以上の客が押し寄せて来たので随分と待たされる。



市中の大きなレストランでも、一度に50人の入店客があれば、プロのコック達でさえ少々時間を要するであろう。



ここは、農家のオバチャン達がやっているような素人集団だからと、ゆっくりと料理が出てくるのを待つ。



 





中国の観光地では、市中のレストランと同等かそれ以上の料金を取られることが多く、ここも粗末な設備と不味くはないが特別おいしい料理でもないのに、結構割高な料金である。



 





再び筏に戻り、漓江を下り始める。



 



途中、水上監視の警察のボートが浮いていて、往き合う船や筏を見張っている。



 



近くを過ぎる旅客が、救命胴衣を着けていないと注意される。



救命胴衣は注意位で済むも、定員オーバーの場合は、相当高額な罰金が課されるようで、何の筏も定員は守られている。



 



水上の事故は、生命の危険を伴うので、厳しい取締りは良いことである。



ここで違和感を覚えたのが、水上警察のボートに海巡と書かれていたことである。



この桂林の地は、遥か海から隔たった内陸の地である。



漢字を創り出し、全ての言葉を漢字のみで表すこの国では、日本では見たことのない漢字も次々と目にする機会がある。



 



おそらく日本の数十倍、いや正確にはわからないものの、数百倍からそれ以上の漢字を使用していると想像できる。



漢字の表現に関しては、数多くの漢字を使い分けている中国で、内陸の河川に浮ぶボートへ、海巡と表記しているのは、まことに解せないことであり、何かモヤモヤとした気分です。



 





途中、素晴らしい景色のポイントに、小さな船着き場を設けたテント小屋へ筏を寄せる。



何だろうと筏を下り入ってみる。



 





素敵な景色が望める川岸に、如何にも中国と思える俄造りの石碑が建てられていて、その脇に立ち中国人観光客が、次々と記念写真に収まっている。



 





デジカメ時代の現在、その背後の長テーブル上のプリンターとケーブルで継っていて、撮ったばかりの写真が、続々とプリントアウトされてくる。なかなかの繁盛である。



 





ここを離れ、暫く流れを下り砂利の川原に、10張りほどのテントが並ぶポイントが見えてくる。筏下り観光客の御用たしおみやげ屋村である。



筏はここへも、当然寄港する。



 





以上の様に、昼食・記念写真・おみやげ屋と3箇所に寄り道した後、下船地点の九馬画山村へ到着する。



 



冠岩から水上約30キロを、3時間少々かけての楽しい筏の旅である。



 





水辺から上の広場へ上ると、電動観光車が出迎えてくれ、3・4キロ先の漓江の景勝地であり、少し賑わいのある鎮(小さな行政単位)の興坪まで送り届けてくれ、この興坪が筏下りの旅の最終地点となっている。