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観光地レポート プリント
宋慶齢故居
更新日:2015年06月02日

 宋慶齢故居は淮海中路1843号にあります。淮海中路が武康路と興国路と交差する一角にあり、武康路散策の起点にも淮海中路観光の基点にもなる。この建物の落成は1920年で、ギリシャの船商人がドイツ人設計士に頼んでしくさせたといわれている。それ正にどこか汽船のようなイメージがあり、地中海様式を思わせる風格とドイツ風な風情にも満ちているのだろう。

宋慶齢故居のスタッフは皆フレンドリーだ。門番から説明担当のボランティアスタッフまで、自然な笑顔で対応してくれ、とても気持ちがいい。
彼らの共通点は自分の仕事に誇りを持ち、この家のかつての主人に対し、敬愛の情を抱いていることだ。記念品部の初老の男性は美しい栞を進めてくれつつ、微笑を浮かべてこういった「この栞は鳩と楠の葉の形なんですよ。この二つは彼女が生前に大好きだったんです。彼の言う「彼女」とは、かつて「国母」と称えられた20世紀の中国で最も偉大なる女性の一人、宋慶齢だ。
【歴史】
宋慶齢はクリスチャンの家庭に生まれた。父の宋嘉樹は実業家と宣教師の二つの顔を持っており、母の倪桂珍は明代の有名な天文学者の徐光啓の末裔で、当時には珍しい先を見る眼のある女性だった。恵まれた教育環境下で育った彼女と5人の兄弟姉妹(宋靄齢・宋子文・宋美齢・宋子良・宋子安)は皆時代の風雲児として活躍し、「宋家」は中華民国時代の「四大家族」になった。
1893年1月27日、宋慶齢が上海に生まれた。1913年にアメリカ留学を終え、帰国途中に中国国民党の創始者孫文(孫中山)に邂逅し、彼の秘書を務めることになった。1915年のある日、彼女は両親に孫文との結婚の許可を求める当時彼女は22歳、孫文は49歳だった。両親に会ったものの、彼女は孫文と共に生きることを選ぶ。そして同年10月25日、日本で孫文と結婚した。この婚姻を最終的に両親は黙認し、娘に嫁入り道具として藤の家具と子孫の繁栄の絵柄の緞子を送り、彼らを祝福したという。
1925年、孫文が病没する。宋慶齢は故郷の救国を意思を受け継ぎ、積極的に様々な社会活動に参加し始めた。1932年戦火の波が上海にも押し寄せたときには宋慶齢は募金に積極的な実業家たちと協力し、「国民傷兵病院」を興し、戦火の中を忙しく動き回った。1949年以後、宋慶齢は中華人民共和国中央人民政府委員会副主席を務めた。
子供たちの教育や福祉事業の推進にも積極的だった彼女が立ち上げた「児童時代」は現在でも中国一番人気のある児童雑誌だ。彼女本人には子供がいなかったが。
1981年5月29日、宋慶齢がこの世を去った。本人の遺志で遺骨は上海万国公共墓地に眠る両親の東隣に埋葬された。生前も没後も、彼女はずっと一人の上海女性だった。
【建物】
1945年の後、宋慶齢は香山路(旧名:莫利愛路 ル・モリエール Moliere'Rue)寓居を国民政府の「孫中山記念館」として寄贈し、自身は少し辺鄙な桃江路45号に移った。その後、蒋介石が淮海中路1843号の邸宅を宋慶齢の所有に名義変更する。1949年春、宋慶齢はこの家に引っ越してきた。
この建物の落成は1920年で、ギリシャの船商人がドイツ人設計士に頼んでしくさせたといわれている。それ正にどこか汽船のようなイメージがあり、地中海様式を思わせる風格とドイツ風な風情にも満ちているのだろう。
正門から入って右手が文物館。玄関には漢白玉勢の宋慶齢坐像がある。鳩舎と車庫の前を通り過ぎれば故居の玄関に到達する。
ホールの北側の壁に孫文の写真がかかり、床には梅柄の美しい絨毯が敷かれている。説明によると、この絨毯は中華人民共和国毛沢東初代国家主席から宋慶齢に贈られたものとのこと。
隅のガラス棚には宋慶齢が集めた二十数点の美しい青花磁器が陳列せれ、客間の横にある食堂の四方には各国の友人たちから贈られた刺繍やウォールプレートなど様々な工芸品ずらりと並んでいる。
ホールの階段から二階に上がれば宋慶齢寝室だ。壁はモスグリーンに塗られ、紅い絨毯の上にはライトグレーの家具。一階よりも更に女性らしいムードに満ちている。そして保存状態のいい藤の家具、これこそが両親が彼女に送った嫁入り道具で、宋慶齢はとてもこの家具を愛用し、半世紀以上も大事に傍においていたという。暖炉の上のアンティークな置時計の針は宋慶齢が亡くなった20:18をさしたまま止まり、自を告げる仕事を辞めた。寝室の横は書斎で、書斎の机の上には昔のままに彼女が使っていた文房具があり、暖炉の前にはピアノ、部屋の中央に小ぶりの四角いテープルが上品に見物を迎える。
小さい階段を下りて庭を横切れば、上海の記念絵葉書でよく眼にするあの光景が広がる。庭に広がる芝生、白壁と紅い屋根の洋館ー少し離れて見ると緑色の波間浮かぶ大きな船のようだ。屋根の真ん中から顔をだす3つの半円形の天窓は舷窓のようで、白い煙突は汽船のダクトの様。バルコニーの鉄の手すりに施された錨の模様と、よろい戸に彫られた帆船のパターンが、建物全体との相乗効果を生み出している。バルコニー越しに庭を見渡せば、ちょうど白いベンチが目に入るだろう。
【周辺紹介】
宋慶齢故居は淮海中路が武康路と興国路と交差する一角にあり、武康路散策の起点にも淮海中路観光の基点にもなる。
このエリアは上海の中心だが、静かで喧騒とは殆ど縁がない。1949年以前に設立された上海にある洋館のうち、総面積の46%がこのエリアに集中している。淮海中路から天平路へと入りと、数分で「吉士酒家」の看板が見えてくる。この店は正統派上海料理店で多くの芸能人に愛されており、マスコミからの取材も何度も受けている。紅焼肉などどこにでもあるありきたりのメニューのようだが、その味は多くの人の心を掴んで離さない。
宋慶齢故居近辺の道路はどれも距離のある大通りではなく、大半がひっそりとした細い道だ。興国路の淮海中路付近にある「逸谷」という広東料理屋は小さな洋館を改造したもので、ここのオーナーはカメラマンだという噂だ。
さらに進むと湖南路にたどり着く。中華民国の政治家だった周仏海のお屋敷である湖南別荘、俳優趙丹の故居、タイ料理店のラピス・タイ、宋慶齢が建てた児童保育院をブティック・ホテルにリノベーションした宝麗会館など、チェックし忘れると悔しい思いをしてしまうスポットが目白押した。
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